こんにちは。
「書いている人」@CPABlogです。
ブログを始めてから早や一年が経過しました。
週一ペースで書き綴っているのですが、毎週多くの人に読んでもらっていてうれしい限りです。
読んでくださっている方、本当にありがとうございます。
これからも同業者の皆さんの参考になるような記事を書き綴っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
そんなCPABlogなのですが、今回は私「書いている人」のプロフィールをまとめておきたいと思います。
今更という気がしなくもないのですが、良かったら読んでいってください。
スタッフ時代
私が二次試験に合格できたのは1990年代後半です。
合格までの数年間は買い手市場が続いたことから、先に合格した受験仲間たちは皆、就職に苦労していました。
私が合格した年は一転して売り手市場だったこともあり、面接で適当な受け答えしかできなかったにも関わらず希望する大手監査法人に入所することができたのはラッキーでした。
同期入所したのは150名くらいだったと思うのですが、私と同じ部門に配属されたのは19名でした。
さまざまな人がいたのですが、およそ3分の1が前職のある人たちでした。
その中にはできるだけ早いタイミングで独立開業しようと考えている人もいました。
スタッフの頃は補習所があったこともあり、同期と会う機会も多く、いろんな話をしました。
優秀な人はすぐにさまざまな科目を担当させてもらっていたりしていたのですが、私は標準的なスタッフで可もなく不可もなくといったところだったと思います。
そんな私なのですが、ラッキーなことに入所2年目にして早くも商法監査(今でいう会社法監査)のインチャージを任せてもらえることになったのです。
これは私が優秀だったからというわけではなく、たまたま私が目についたというだけのことなのですが、同期の中で誰よりも早くインチャージを任せてもらえることになり、とても誇らしかったことを覚えています。
そして早い段階でインチャージを務め監査の一連の流れを経験したことによって、質の高い監査をやりたいという思いが強くなり、現状に不満を持つようになるのです。
一回目の転職
入所した大手監査法人で配属された部門は、当時の理事長を輩出していた有力部門でした。
力の源泉は収益であり、所属していたパートナーたちは皆、多くの収益をあげることを求められていました。
そんな部門でしたので、今では考えられないことですが、インチャージの指示で残業対応しているにもかかわらず、パートナーによって残業報告が否認されるのが日常茶飯事でした。
また収益アップには直接的には繋がらない監査の品質も全く重視されておらず、私の作った調書がレビューされることはほとんどありませんでした。
質の高い監査をやりたいと考えていた私は、そんな部門の方針に嫌気がさし、退職を宣言したのが一回目の転職のときです。
この時は勢いだけで退職を宣言してしまったので失敗してしまうのですが、詳細は以下の記事で書いていますので、こちらの記事を見てもらえればと思います。
その後、知人の助けもあり何とか今の監査法人に滑り込むことができたのでした。
監査集中期
今の監査法人で最初に入ったのは、誰もが知っているグローバル企業を担当する部門でした。
グループ全体から得られる監査報酬は数十億円にもなっていたのですが、その監査で問題を起こすことがないようにと、どこよりも質の高い監査を提供することを重視している部門でした。
当時、質の高い監査をやりたいと思っていた私は、この部門での監査を通じて学んだことがたくさんありました。
詳細は以下の記事でも書いていますので、こちらの記事も読んでもらえればと思います。
そして十分な監査スキルを獲得した私は、プラスαになるようなスキルを身に付けたくて、試行錯誤を続けるのでした。
バックオフィス時代
十分な監査スキルを身に付けた私は、更なるスキル獲得を目指して、試行錯誤を続けていました。
そんなある日、事務所のポータルサイト上でバックオフィス系部署の人員募集を見つけます。
数日間悩んだ末にパートナーに異動を申し出たところ、いい経験になると快諾してもらい、とあるバックオフィス系の部署に異動することになります。
詳細を書くと身バレしてしまいますので、詳しくは書きませんが、以下のリンク先の記事にあるようなバックオフィス系の部署のいずれかで2年間働きました。
結局バックオフィス系の業務はパートナーになってから携わるからこそキャリアにプラスになるのであって、職員として携わっても将来がないことを悟り、当初の取り決めどおり2年間の任期をもって元の部門へ戻ることにしたのでした。
地方事務所時代
バックオフィス系の部署から戻ってきてから数年は監査業務中心の日々でした。
そんな中、とある地方事務所で大量退職が発生し人員不足が深刻ということで、急遽私の部門からも人を出すことになったのです。
バックオフィス系部署から戻ってから惰性で監査を続けていた私は、そろそろ新しいことに取り組むべきだと考えていたのと、ここでパートナーたちに恩を売っておくのも悪くないとの打算から、手を挙げてこの地方事務所へ異動することにしました。
このときの詳細は以下の記事で書いていますので、こちらの記事も読んでみてください。
大量退職で人員不足に陥っていた地方事務所ですが、3年も経つ頃にはすっかり体制も落ち着き、私はまた東京に戻ることになるのでした。
コンサル集中期
地方事務所で勤務していた頃は、監査以外のコンサル業務も数多く経験しました。
IPO支援業務をはじめとして、新会計制度対応支援、内部統制構築支援などのコンサル業務を地方事務所で経験させてもらいました。
リーマンショックによる余波で監査報酬が低迷する中、各監査法人ともリストラを断行しつつ、コンサル業務の推進に舵をきっていた頃のことで、コンサル業務をデリバリできる人材がもてはやされる時代でもありました。
東京に戻った後もこの風潮は続きます。
「パートナーになりたければ新規業務を受注してこい」こんなことが声高に叫ばれる時代でもありました。
私は定年まで監査法人で働きたいと考えていましたので、パートナーになるべく、やり慣れた監査業務の比重を落として、コンサル業務へと傾倒していくことになります。
守備範囲も会計や監査周辺の案件だけに留まらず、人事制度やシステム関連、社内研修企画など今までに経験のない領域まで対応を広げて、さまざまな案件を受注し、デリバリしてきました。
詳しくは以下の記事でも書いていますので、こちらの記事も読んでみてください。
そして現在
監査報酬が数十億円になるようなビッグクライアントのインチャージには選ばれなかった私が、パートナーになるためには、営業でがんばるしかありません。
後進に道を譲るという名目で担当していた監査クライアントのすべてを引き剥がされてしまった今、営業が辛いからといって逃げ込める先も残されていないのが現実です。
食わせていかないといけない家族もいることから、ここまで何とか頑張ってきましたが、そろそろ限界のようです。
新規業務をコンスタントに受注してくるのは、皆さんが思っているよりも大変なことなのです。
優秀ではないが仕事ができないわけでもない普通の会計士である私が、監査法人で生き残るためにさまざまなことに取り組んできたことは上記のとおりなのですが、その結果が今の私です。
私は監査法人の内部に活路を見出そうとしてさまざまなことにチャレンジしてきましたが、今になって思うのはなぜ外の世界に目を向けなかったのだろうか、ということです。
私と同じ過ちを犯したくない人は、遅くても30代後半までに自身のキャリアについて真剣に考えるようにしてください。
そしてこの記事を読んで外の世界に少しでも目を向けてもらえるなら、私の失敗にも意味があったと思えて少しは報われるでしょう。
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