こんにちは。
「書いている人」@CPABlogです(プロフィールはこちら)。
監査法人で働いている会計士の皆さんの中には、一旦入所した監査法人を退職することにすごく抵抗を感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私も転職を決意するまでに、幾度となく葛藤を繰り返しました。
なぜ監査法人で働く公認会計士が転職を考えるとき、激しい葛藤に襲われるのでしょうか。
葛藤の中身
私が転職を考えたとき、感じていた葛藤の中身は以下のようなものです。
- 組織に属しているのだから、組織が望む人材にならなければならない
- お金を稼ぐのが辛いのは当たり前のこと、お金はその対価なのだから
- 一度でも逃げ出すと逃げ癖がついてしまうから我慢したほうがいい
- 我慢するのは当たり前、辞めてしまうと社会の不適合者になってしまう
- 社会は理不尽なことで溢れており、多少のことは受け入れなければならない
- 会計士になった以上、会計士として社会に貢献すべき
これらの価値観が私の根底にあるからこそ、転職を考えたとき激しい葛藤を感じていたように思います。
そしてこれらの価値観は私が子どもの頃に経験した学校教育によって形成された価値観なのだと思います。
作られた価値観
現在の学校教育は我慢を強いる教育システムだと言われています。
多くの子どもは小学校の前に幼稚園に通うと思いますが、その幼稚園から集団行動が始まり、徹底的に協調性を叩き込まれます。
教師たちは子供に周りと同じことをするように教育し、道から外れることは間違ったことだと教えます。
国語の授業ではさまざまな小説や随筆、評論を読みますが、作者の主張や思考をなぞることを教えられます。
そしてテストでは作者に同調する答えが正解とされ、その他の感じ方は不正解と扱われてしまいます。
こんなことをしているうちに自身の感受性は封じられ、本を読んだ時の「感じ方」まで強制されることになっていきます。
本来ならば作者の考え方はおかしいとか間違っているとか、疑ったりして自分の考えを整理したりすることで多様な人格が育まれるはずです。
でも現在の学校現場では作者と違う意見を持つことは排除されてしまうのです。
学校だけではなく家庭でも周りと同じようにすることを求められ、それができないと「立派な大人になれない」と教え込まれます。
その結果、従順なサラリーマンになるための人材が大量生産されていくのです。
そしてそれは戦後の日本が国際社会の中で復活を遂げるために、国家が従順な労働力を大量に作り上げるシステムとして作り上げたものに他なりません。
思考停止が求められている
監査法人で穏便に暮らすのにも、ある種の思考停止が求められているのかもしれません。
うまく自分を騙しパートナーの顔色を伺って日々を平和に過ごす。それが上手にできる人や、痛みを感じない人だけが監査法人で幸せになれるのかもしれません。
反対にそういうことに痛みを感じる人、自分の頭で考えてしまう人、我慢することに意味を見出すことのできない人にとっては、その環境は苦痛でしかありません。
監査法人で働く以外の選択肢がないので、黙って耐え忍ぶしか無いと思い込んでいる人も少なくないはずです。
みんな我慢しているんだから、あなたも我慢するのが当然です。
それが従順なサラリーマンになる人材を大量に生み出している国家の言い分なのかもしれません。
まとめ
私だけではなく多くの監査法人で働く会計士が独立開業はハードルが高いように感じていると思います。
でもこれは体に沁み込んだ雇われ体質がそう感じさせているだけかもしれません。
誰にも雇われずに独力で生きていく。
大変なこともあるかもしれないがこれほど自由な生き方はないとも思います。
実際に私の周りで独立開業した人たちは楽しそうに働いている人が多いように思います。
これまで安定を求めているのは自分だと思っていましたが、実際は安定を求めるように仕向けられていただけかもしれません。
これまでの人生はもう取り返しがつきませんが、せめてこれからの人生は自分を信じて思うがまま生きていきたいと思います。
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